CMF Logo

夏の田舎の音楽祭 (若尾裕)

2010年8月6日

 いつも8月の初め頃に、僕は参加者数30名の小さな音楽祭を主宰して行っている。初めは、僕の教えている大学の卒業生や個人的なつながりがある人たちだけで集まって、3日間ほどどこか山のなかででも泊まって、好き勝手にみんなで音楽をやろうというぐらいのつもりで始めたのだが、今年でもう5回目となった。

 この音楽祭の開催地は、広島県のディープな田舎の総領町の田総というところなのだが、ここはかつて小学校のある教科書に過疎の村の一例として取り上げられたことがある名誉ある土地だ。役場に行くと、その教科書のそのページが開いてあって、説明まである。堂々としたものだ。それともまあ、やけくそなのかな?

 会場の「ふるさとセンター」は、かつて小学校だった跡をそのまま宿泊研修施設にしている。外見は古めの鉄筋なのだが、中はかつてのような木造の教室が並んでいて僕などにはなつかしい。体育館や音楽室などもそのままの形で残っている。

 だいたいいつも、誰かおもしろいアーティストを講師として招き、ワークショップをしてもらうのを中心のプログラムにしている。今年はヴォーカル・パーフォーマーの巻上公一さんとダンサーの堀川久子さんに来ていただくことができた。

 巻上さんのワークショップでは、声を多様に使って表現を開発するものだったが、彼の表現力のパワーに引きずられて、みんな相当に盛り上がってしまう。やはり、ほんもののパワーのある講師の力はすごいものだ。

 ダンサーの堀川さんのワークショップでは、身体への意識という点におもに重点を置いた、とても基礎的なものだった。僕自身は、ダンスはとても興味はあるが、自分が踊る側に立ってみることなど、昔は思いも寄らなかった。それが、カナダのサウンド・シンポジウムという音楽祭に行ったときに何となく受けたあるダンスのワークショップがきっかけで、ダンスや身体系のワークショップに好んで参加するようになってしまった。実はこのサウンド・シンポジウムは、僕の主宰するこのクリエイティヴ・ミュージック・フェスティバルの原型となったものである。このダンス・ワークショップ、外国だったという気楽さもあって入ってみたら、とても楽しく解放されるような気分を味わった。たぶん、このときの講師はとても優秀な人だったんだろうと思う。だから、この音楽祭でも、可能な限りダンスやパフォーマンスなどの、体を使う芸術分野の人に来てもらうようにしている。

 5年も続けているうちに、この気楽になかなか高度な表現分野を体験できる場の楽しさを忘れられない人が、だんだん固定的なメンバーになってきた。3日間の音楽祭の日程の2日目の夜には、講師も交えてコンサートを行うのも通例のことである。巻上さんの抱腹絶倒のパフォーマンス、堀川さんの舞踏的なやや表現主義的なダンス、いずれもとても印象的なものだった。参加メンバーも気軽にみんなでその場で打ち合わせをして、即興演奏をしたりするのも楽しい。あまりうまい下手は、どうでもよくなってしまうところがこのコンサートのいいところだろう。

講師と3日間、ずっといっしょにいるので、何か話したかったり、教わったりしたければ、ゆっくり時間を過ごせるのも、この音楽祭の一つの特色で、これまた外国のフェスティヴァルの雰囲気から学んだものだ。講師を依頼するときには、できるだけ3日間のんびりいっしょに滞在してください、とお願いするようにしているのだ。講師の人たちには煩わしかったかもしれないが、ホーミーや口琴のミニ・レッスンが、そこいらで展開された。これは参加者にとっては、とても大きな体験となったことだろう。

やりながら、何か新しい芸術のあり方は探せないものかなあと思ってきたのが、この音楽祭を続けている大きな動機の一つなのだが、こういう形の新しい芸術表現活動を体験することによる人間性の回復の場といった姿に、少しずつ落ち着き始めてきているような気がする。みんなとても元気になって帰っていくようだ。帰ってからも何日間かは精神的にハイの状態が続いたことを知らせてくれた人が何人かいたが、なんだかそれは感受性訓練かエンカウンター・グループの終わった後みたいな感じを思わせる。しかも、今回のような巻上さんのような強力なワークショッパーの手になると、もう心理療法屋さんなどはまったくの敵ではない。修羅場をくぐったアーティストの表現性こそ、人々をほんとうに非日常に導くものすごいパワーを持っているのだ。そして、そのようなことばかりを集中して行った夢のような3日間の後、参加者は目を半分覚ましながらそれぞれの日常に帰って行く。

また来年も続けるのだが、僕はこれを、単なる強力エンカウンター・グループに落ち着いてしまわぬように、また新しい試みを導入したいと思っている。精神衛生のためにやってるのじゃなく(もちろん結果としては構わないのだが)、やっぱり新たな芸術のあり方を考えることを主眼にしたいのだから。

それにしても、もう芸術活動は、専門家がやるものを端から見て楽しむ時代は過ぎつつあるなと思う。やりたいひとが自分でやりたいことをする時代に入ってきている。だから、芸術の専門家は、人前で何かやったり、特別な作品を作ったりするだけの役割だったのが、人が、何かやったり、作ったりするのをファシリテイトする役割の方が強くなってきているのではないかと思う。今回来ていただいた2人の講師の方々も、国内外を問わず、さまざまな地でワークショップを展開している。そういった活動は、自分の芸術活動を支えるための活動でもあるかもしれないが、どこかそれが一つの芸術活動の一部となってきているところもあるようにも見て取れる。西洋的な芸術の形が、作品や結果を通して何かを鑑賞者に伝えるという芸術家と観衆を対置した考えだったものが、教育的活動を通して人々の体験のなかに何かをもたらす、というのも次の芸術活動の形に変わっていくことはなんら不思議なことはない。そもそも芸術家-観衆という分離と対置そのものが、近代になって出現したとても特殊な慣習なのだから。

カワイ「あんさんぶる」連載中「音楽は生きている」
(No.431 2002年11月)より

CMF Archives

下のリンクより,それぞれの CMF 開催年の記録を見ることができます。

copyright© Creative Music Festival all rights reserved